特集:
COS下北沢3周年シンポジウム
「住まい・場づくりを考える」開催!
〜社会学者森反先生の講演内容を紹介します〜
2008年2月13日(水)の午後6時半から、北沢タウンホール11階の研修室において、「COS下北沢3周年シンポジウム」が開催されました。
テ‐マは「住まい・場づくりを考える?COS下北沢の事例から」とし、COS下北沢のもつ現代における社会的な意味や意義について、再考してみたいという趣旨で開催されました。SAHSも共催団体として参加しました。
NPOコスファ理事長・長谷川さんの挨拶、COS下北沢の紹介の後、東京経済大学教授で社会学者の森反章夫先生の講演及び意見交換が行われました。
森反先生の講演から‐‐奇妙な「排他性」
以前、世田谷で行われたまち歩きで、COS下北沢を見たような気がする。その時は、中には入りづらい場であるという印象があった。外部の遊歩者にとっては、この場所は何をしているところか判然としない。まして、建物自体がある特段の理念のもとに構想され、建設され、団体が結集し、運営されていることなどは知る由もない。この奇妙な「排他性」は重要である。
集まっている団体にはそれぞれの活動目的があり、事業性や採算性が問われている。事業サービスによって、「地域住民の生活なるもの」を支えていることが、「地域に溶け込むことになる」と考えられている。
COS下北沢は建物の呼称であるが、同時にそれは「協同して活動する空間」を意味している。しかし、建物をともに使用している団体相互の協同活動はどうなっているのだろうか。ここの仕組みは筆舌につくしがたいスキームで成立している。団体間のヒエラルキーや特別な権限はないといっていい。そのあやうさを「COSFA憲章」のようなもので支えているのだろうか。地域の住民はそれを知っているのだろうか。
現代的コモンズとまちづくり
コモンズはある方向性をもった共用の空間や活動を意味している。かつての共有地や共有林もコモンズである。生物学者ハーディンは、コモンズは重要といいながら「コモンズの悲劇」をいっている。それは、「ルールがないと一人が勝手に使う」ということだ。
阪神淡路大震災の復興のときに、私は鷹取の東地区に入った。野田北部まちづくり協議会でのやりとりの中で住民の印象的な発言があった。それは、地区の中央部にある大黒公園についてのもので、「我らが公園」という発言だった。確かにこの公園は、地区住民が自由に使い多くのイベントも開催されてはいたが、「我らが公園」という意識がもつ意味は大きい。これはこの公園が明らかに「地域の共用空間」になっており、「住民による自由な横領的実践の場」でもあることである。すなわち、コモンズということである。私は多くのまちづくりの現場で、「見たことのないものを見ることができる」ことをしばしば実感する。
共有・共用の空間は大事である。都市空間の中にコモンズをとりもどすことは重要なテーマである。多くのまちづくり活動は、地権者の同意が得られずに、活動の拠点や現場をもてないでいる。行政の支援も民間の支援もない。歴史的コモンズの持続すらあやうい。コモンズを獲得することは困難な試練であり、果敢な試みである。コモンズ使用をめぐる協議とルール形成が社会関係資本を形成する。コモンズの使用実践がまちづくり活動の持続性と交差性を担保する。コモンズそのものが現代社会の土地建物の私的所有を相対化する使用形態である。コモンズは、まちの公共空間に多様な活動を復活させる。
都市計画は一様にコモンズを排除するといえる。しかし、都市空間の実際の使用法には実に多彩なコモンズ的実践が展開する。コモンズはそれゆえ、ヴァルネラブル(=傷つきやすい)である。こうした現代的なコモンズ・中間的なるものを現在の都市法の体制は捕捉しはじめたように思う。東京都の「しゃれた街づくり条例」などである。
COS下北沢は現代的コモンズなのだろうか
ここにひとつの本がある。『マゾヒスティック ランドスケープ』と題するこの本は、公共空間を私的利用している場所の写真を紹介している面白い本である。路上の屋台なども紹介されている。
それではCOS下北沢は現代的なコモンズなのだろうか。COS構想そのものは、地権者の「贈与」にふさわしいと思われる。その「贈与」された空間全体で、公と私の中間的に「協同して働く」ことの社会的な成果として、地域住人が「協同して活動する」ようになることが重要である。
ここで、「奇妙な排他性」が活用されるべきである。同志的な結社、まちづくりの隠里、特異なクラブ財(注)、こうしたコンセプトこそ、まさに今日の表社会一般から隔離され、排除されたものである。だから、遊歩者が安易にのぞきこまないことは、COS下北沢の情報のハンドリング(処理・運用)には、かっこうの条件といえる。
逆に、「奇妙な排他性」は、COS下北沢の情報戦略によっては、地域のまだ見ぬ友人たちを結集させる契機でもある。既存の町内会や自治会の奥深く眠っていると思われる奇妙な論理と相通ずるように思われる。そこでは、社会契約論的な代表民主制の論理とは異質な側面を組み込んでいるのではないか。
以下の3点である(ルール、ロール、ツールの仕分けは松岡正剛氏による)。
1.組織単位としての班にあって、共有財の管理・運営をめぐって発生するさまざまな任務を明確にし、「輪番制」によって「分担」することが、原基的な組織原理であること(ルール)
2.分担されたワークが、成員の協働過程で成員相互を結節させ、「親睦」「友愛」を蓄積すること(ロール)
3.これら分担・協働の過程では、さまざまなかたちで「相互調整」が成員間に行われ、班という単位が設定されていること(ツール)
COS下北沢の空間自体が、そこに集まってくれた地域住民をふくめた新しい「つくる会」によって、幾度となくつくりなおされねばならないのではないか。少なくとも、そのメカニズムは必要に思える。
意見交換と結び
その後、意見交換となりました。発言があった主な内容は以下のとおりです。
1)COSFA憲章の重要性を再確認できた。
2)「奇妙な排他性」「まちづくり隠里」に共感した。
3)共通した要素+それぞれの個性が重要と思う。
4)下北沢の猥雑性の中で、ここはエレガントでピュアな感じがする。
5)このような取組みは世の中のマイノリティであり、先端戦を戦っているといえる。ある種の覚悟をもった美しさがある。
6)このような組織は「みかん型」でなく「ぶどう型」組識が必要ではないか。
最後に森反先生は、「資本制社会の転換期にあり、セルフガバナンスやローカルガバナンスが問われている」と結ばれました。
注:クラブ財とは、私的財でも公共財でもない準公共財の一種で、その財の利用率に応じた課金が可能な財のこと。例えば、駐車場、通信システムインフラなど。(参考文献:金子郁容・松岡正剛・下河辺淳『ボランタリー経済の誕生』実業之日本社、1998年)